元婚約者との一件から、3日たっても彼から連絡が来ない。不安も限界に達し、フランスへ電話した。フィリップは元気があまり無かったように記憶している。今度は彼からやり直しはできないと切り出した立場でも、7年間の元婚約者との記憶を急に消すことはできない。もう彼女以外は愛さないと思っていたと今は言う。異国の地で突然手術をして負ったショックとまだ整理しきれていない婚約者との破局の痛手を抱えながら、カナダとフランス間、大西洋を隔てての遠距離恋愛が始まる。
遠距離恋愛ってしんどい。つらいことの方が多い。離れていると不安になることばかり。ことさら相手が見えないから余計にネガティブにいろいろ想像してしまうこともある。時差もあると、こっちがまだ波に乗っていない時間に、向こうは夜でお酒が入って(相手は病み上がりなのにお酒は飲んでいた。)盛り上がっていたりと感情の共有もしずらい。2度と同じ思いはしたくない。
でも、辛かった分、離れていた分、返ってくるものや学んだことは普通の恋愛よりも多いと感じている。日本人同士でも理解しあえないことなんて山のようにあるはずなのに、国際恋愛となると、文化、言葉、生活背景、考え方、そして生き方、全てに高くて分厚い壁があり、それをお互い乗り越えないとうまいこといかない。この『お互い』にが長持ちする鍵となる。この2年半を振り返って二人ともよくやってきたなと他人事のように関心してしまうくらい何百、何千とある壁を一枚づつ取り除いてきた。
昔の人なら、私達のような遠距離だった場合、手紙だけでやりとりしていただろう。今はインターネットのおかげでコミュニケーションが本当に楽になった。それでも手紙の交換も時折していた。私が白黒の絵葉書が好きなことから、パリでの1週間の短い滞在を共有できるよう街角の風景や50年代のパリの絵はがきを時々くれた。それ以外は、Eメール、チャットそして電話。平均して一週間に3−4回の割合でお互いに電話をしあった。
この電話だが、一つ難点があった。フランスでは携帯しか持たない若者が圧倒的に多い。私側は向こうの携帯にかけるしか手段が無く、電話代が高くつく。カナダではテレフォンカードの競争率が高く、一般電話にかけられる安いカードはいくらでもあるが、携帯は別。電話会社に彼の携帯番号を登録して少しでも安くかけられるプランを申し込んだりと工夫が必要だった。
私が不在で留守番電話にメッセージを入れてもらうこともあった。柄にもなく、彼からの全てのメッセージを保存しておきたかった。ケベックでは使われていないフランス語の言い回しや単語が理解できなくて、後で辞書で調べたくていつも記録していた。25件までしか残しておけないので印象的なものだけ常に25件分2年半残しておいた。毎回留守電を聞くときこの25件分を聞いてからでないと新しいメッセージが聞けないという不便さがありながらも。
3月にパリで会った。じゃあ次にいつ会える?どっちが動く?5月まで私にはガイド学校がある。高い授業料を払っているし、卒業するまではどうしても動けない。
向こうは、モントリオールで中断したアニメ映画の仕事の続きをパリで再開する機会が与えられていた。そして、パリの大きな病院の脳外科での治療アポイントもあった。彼の体の状態を考えるとやはり私が行くしかない。ちょうど向こうが2泊3日の治療入院をするために5月に2週間休みがとれるという。私もガイド学校がちょうど終わる。5月にフランスで再会する計画となった。
病院に元婚約者が来るかもしれないという。不安の波がまた襲ってきた。まだそのころの私は、自信がなくて、いつ向こうがやっぱり彼女とやり直すと言い出すのでは?という心配ばかりしていた。私のことは80%、20%はまだ彼女に思いがあるとも言われた。80もあればいいじゃないって?100なんて逆にありえないんじゃない?なんて友達に言われたこともある。そんな確率にこだわっていたころがなんだか懐かしい。
5月。再びパリへ飛ぶ。彼の入院前日に空港で3ヶ月ぶりの再会。パリは雨模様だった。彼のお父さんは、現在の奥さんがパリに仕事を持っていたことからパリーアングレームの遠距離夫婦をしていた。フィリップにしてみれば義理のお母さんに当たるが、彼女がパリにアパートを持っていたのでそこに彼の入院中世話になれるよう手配されていた。到着当日は近くの中華レストランで夕食を二人で一緒にした。翌日、二人で病院に行き入院手続きをする。広々とした二人部屋に彼だけ入る。その後検査などが始まり、夜7時に私は病院を後にする。
3日間は一人で食事をしなければならなかった。アパートはノートルダム寺院にも近いサンジャルマン・デ・プレにあるので、賑やかで寂しくはなかった。アジア人女性が一人でカフェで夕食をすることが珍しいのか、ギャルソンがナンパしてきた。これが、フランス流のあいさつなのかなぐらいに思い適当にかわした。そして夜10時ごろアパートに戻る。あ・・・入り口のコードがわからない。アパートには義理の母の息子が住んでいたが留守をしていた。フィリップもコードを教えてくれなかったし、私も聞くのを忘れていた。テレフォンカードを買い、公衆電話へ走り病院に電話を入れる。どうしても緊急といっても、病院は入院患者に取り次いでくれなかった。病院内なので、彼の携帯もオフになっている。
パリは何度も来た事があってもこういうことは初めてなので、かなりあせってきた。他に知っている電話番号はアングレームに住む彼のお父さんしかいない。夜遅いが電話をした。コードはわからないという。義理のお母さんの電話番号を教えてもらい、かけると仕事中の彼女が電話にでる。
ヒンシュクだが、仕方ない。ちょっと冷たい返事だったがコードを教えてもらい夜11時過ぎにやっとアパートに入ることができた。
ここで何が言いたいかというと、普通なら受け入れをした彼側が責任もって、私に教えてくれていたら済む話なのにそういうことが頭に無い。この件に限らず、彼はこういう基本的なこともうっかり忘れてしまうことがその後何度もあり、ずいぶんイライラした。感覚が違う。全てが違う。自分が信じてきたこれまで当たり前だと思ってきたことはくまなくひっくり返されることが続く。そして彼の退院後、初めて大きな喧嘩をした。