退院の日がやってきた。2泊3日の入院中フィリップは大きな治療をした。医学的なことはよくわからないが、放射線治療をほどこした模様。額の生え際と後頭部にそれぞれ2ヶ所、全4ヶ所にビスを打ち込み、そこを通して外部から放射線を当てたようだ。入院中は、そのビスが刺さっている状態で安静。珍しいあまり、記念写真を撮ろうということになり、使い捨てカメラを売店まで探しに行ったりもした。退院の日になるとそのビスがはずされ、絆創膏をペタンと張って終了。あっさりしたものだ。
さて、えぴそーど8で予告した「喧嘩」について、その元になったのが同時期に入院していたアルジェリア出身の男性。フィリップと全く同じ治療を受けたらしく、「同期の桜」状態で意気投合した模様。退院日も同じ。それを祝い一杯飲もうということになったらしい。「らしい」というのは、その頃の私はまだ彼らの早口のフランス語を全て理解していなかったため、状況が見えていなかった。それも原因のひとつ。
パリのSte-Anne病院を後にし、メトロに向かう道中のカフェに3人で立ち寄った。退院したばかりなのに、何事も無かったようにビールを注文する二人。何を言っても聞かないためいちいちとがめるのは面倒。さて、小一時間ほどそこでおしゃべりをした後、支払いをすることになる。フィリップは、私に『金あるか?』という。その頃は、割り勘が普通だろうという間柄だったため、私の分のビール代を払おうとしたら、『全員分だよ』という。フィリップの分はともかく、今日会ったばかりの知らない人の分まで何で私が出さなければいけないわけ?とムカっとした。というか、フィリップもお金を持ってないのに人を誘うなと。そして同期の桜の彼も帰りの地下鉄代しかない模様。私が言いだしっぺでもなく、状況が見えないままついていったカフェで全額を支払うことになった。
その彼と地下鉄で別れた後、腹が立っている原因を全部本人へ言った。すると、向こうは逆切れ(としか言い様がない)、『わかったよ。じゃあ今すぐ払うよ。今銀行いくからさ、その代わりこの前の俺が出した君の中華の分はどうなるわけ?』中華を向こうが払ったから今度は私が出す、もちろん喜んでする。でも争点はそこじゃない。コミュニケーション不足である。一言お金を持ってないから今回出してくれる?という打診があればまだしも、そういうことを事前に手を打つ感覚がない。はるばるモントリオールからやってきて、彼の入院に付き合い、よくわからないまま連れられたカフェで知らない人の分を払うということは、私にしてみれば筋が通らない話。だいたいこの二人は所持金無しで入院し、雰囲気とノリだけで、カフェに行くことを決め、お金のことは後で考えるという全て逆からの発想である。
ただ、後でわかったことだが、その頃のフィリップは精神的ショックからまだ立ち直れていない状態。自分自身のことを取り戻すのにやっとで、周りの状況を深く考えられないと説明する。じゃあ、それを差し引いたとして、疑問に思ったのが、本当に手術や前婚約者のことだけが理由なのかなと。それ以前の肉体的、精神的に健康な状態の彼を私は知らない。だからその基準となるものが無い。ひょっとしたら、もともとそういう性格気質なのか、それともフランス人はみんなこんな感じなのか?という疑いも生まれてきた。
その理由が、数日後の喧嘩第2弾。
モントリオールでフィリップの命を救ってくれたフランス人の看護婦さんが、転勤先のスイスからフィリップを尋ねてきた。彼女と彼女の友達のフランス人女性と4人で夕食を食べに行った。繰り返しとなるが、その頃は今ほどフランスの仏語に慣れていなかったため、彼らが話す会話にはついていけなかった。そして私の普通の感覚では、4人いたら4人が参加できる会話をするものと信じてきた。フランスでは少し違うような気がする。気を使うという習慣は無いのでは。私が日本人でフランス語が旨く話せないという理由が大前提にあるが、逆にもし日本人が多数で、日本語が多少話せる外国人が一人いた場合、もう少し違った対応をするのではないだろうかと思う。フランス人の場合、話したい人が話す。それぞれの特別な事情はどうでもいい?というか特別扱いしてもらいたい私がおかしい?そのレストランで、私は帰りまでの3時間ほとんど会話に参加できず、ずっと石のごとく黙っていた。これはきつかった。そしてフィリップも全くそれに気を止めず、2人の女の子と私抜きでしゃべり続ける。
このことについても、フィリップに説明をした。もちろん、私自身もここのカルチャーに慣れるべきだと思う。できが悪くても率先して話に参加すればいいのだが、私にとっては厚い壁だった。なぜなら、その時どうしてパリまで来たか。一番の目的は二人の関係について一つ一つ確かめながらまずは構築したいときだった。相手にも私のことを知ってもらいたかった。ところが、想像以上に彼の日常生活の矢面に立たされる。彼を取り巻く人達にとって、私がどういうポジションに位置しているかということが、私自身まだつかめていない時で、自分のペースをどうやってつくっていいかもわからなかった。そして彼は彼で、いつも以上(だったのだろう)にハイペースで取り巻きの人々との歩調を合わせる。私の存在が全く無かったかのように。とにかくこの3時間ほど居心地が悪いものは無かった。照れや遠慮、語学そのものよりも会話をすることに自信が無いこと。そういう気持ちを察しようという第3の目が彼には無い。でもちょっと待って。私はフランス人じゃない。カナダに4年いたとはいえ、日本人的感覚が全く薄れたわけではなく、むしろ日本にいたときよりも日本人であることを意識しているのかもしれない。そして、私達は何よりも仏日のカップルであること。どうして、彼側の文化や感覚に私だけが合わせなければいけないのか?そう考えたら腹立たしく思ってきた。こういうことをいちいち説明するのは面倒だが、いちいち説明しないとわかってもらえない。こうするべきとか変わって欲しいと言っているのではない。一番大切なのは、フランス人ではない私がどういう感覚を持っているかと理解するということ。それだけで先ずは充分だった。
上記の2点の食い違いにはじまり、その後も山のように相違点が出てくる。お互いに嫌になるほどたくさんの言い争いをし、壁を超えてきた。日本人とフランス人、アジア人とヨーロッパ人、男と女、職業的背景から来る違い(私:元添乗員、彼:アニメーション)、家族との親密度(私:浅い、彼:かなり親密)、せっかち(私)とのんびりや(彼)、頑固と頑固、追って番外編でケーススタディをしたいと思う。